阿部次郎(1883−1959)

阿部次郎は1883(明治16)年8月27日、山形県上郷村(現在の山形県酒田市)に8人兄弟の二男として生まれました。
東京帝国大学文科大学哲学科を卒業後、夏目漱石の門に出入りし20代半ばから気鋭の評論家として論壇の注目を集めました。

彼が30代を迎えて間もなく発表したエッセーが『三太郎の日記』です。
人間の内面を深く掘り下げ、誰もが抱く心の闇に正面から向き合ったこの作品は
多くの青年たちの共感を呼び、「青春のバイブル」として大正時代から戦後に至るまで多くの若者に愛読されました。

1923(大正12)年、満40歳の次郎は東北帝国大学法文学部美学講座の初代教授に就任し、
仙台に居を移してここを終の住処と定めました。
東北帝国大学では後進の育成と共に大学運営にも携わり、多くの学者・文化人を仙台に招いて今日の東北大学の基礎を築きました。

1954(昭和29)年、次郎は仙台市米ヶ袋(現仙台市青葉区米ヶ袋)に財団法人阿部日本文化研究所を設立しました。
既に病を得て久しい次郎にとって、私設研究所の開設は長年の夢であるとともに最後の大仕事となりました。
この日本文化研究所の落成式を最後に、次郎は公の場から静かに去ってゆきました。

1959(昭和34)年10月20日。
5年余りにわたる闘病生活の後に次郎は世を去りました。



彼の死から50余年。
今では「阿部次郎」の名を耳にすることは稀になりました。
しかし彼が『三太郎の日記』として後世に残した魂の軌跡は
善人にも悪人にもなりきることができないごく普通の人間としての心に
今なお熱く迫ってくるものがあります。
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